30代をざっくり振り返ってみた【仕事編】




KUMAKO
ついに39歳になってしまったKUMAKOです
ハシビロコウ先輩
30代最後の年になったんだな~。ハシビロコウ先輩です
上高地でボケーっと見ていた景色(撮影:KUMAKO)

さて、誕生日を迎えて、30代最後の年になってしまいました~!

30代は、もちろん悲しいことや辛いこともあったけど、でも、楽しかったという印象も強いです。20代より30代の方が、より自分らしく生きられたいい期間でした。

40代はもっと、自分らしく自由で楽しい人生になるといいなぁと思います(まだ30代だけどw)

と、いうわけで、今日は、30代最後の年企画(?)として、簡単な振り返りをしてみたいと思います!

今日は「仕事編」ということで、20代はがっつり国家公務員をやっていたのですが、30代前半で公務員をやめてフリーランスのライターになったので、そこら辺を当時の心情とともに振り返っていきます。

完全に自己満足記事なので、興味のある方だけどうぞ(笑)

私にとって仕事とは?

振り返りの前に、「自分にとって「仕事」ってなんだろう?どんな意味があるのかな?」というのをまずははっきりさせていきたいと思います。

ここの考えは本当に十人十色で違うので、自分にとっての「仕事」について深く考えてみるのもいいかもしれません。

前置きはこれくらいにして、「私にとって仕事とは?」ということなのですが、私の人生にとって仕事はかなり重要な要素であることは確かです。

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2023.03.13

上記、母との関係で築かれてしまった「経済的自立」への強い強迫観念(笑)、みたいなものが私の中にあるのは間違いないですが、それを抜かしたとしても「仕事」って私にとってすごい大切なものなんですよね。

それは、昔から自然とそうだったと言うか、社会人になったときから仕事自体は好きだと思っていたし、できれば定年など考えずに一生働き続けたいと思っていました。

だからこそ「好きでもない仕事を我慢してやる」ということが、どうしても耐えられず、経済的に保証されている国家公務員を辞めたわけですね。

頑張って勉強して色々乗り越えて国家公務員になったんですけどね。

そして、ここの価値観は人それぞれ違いますよね。

私が国家公務員を辞めたときは「好きなことを仕事にできるはずがない」と随分周囲に反対されたものです。

ただ、時代が移り変わり、今や「好きなことを仕事に!」が浸透しすぎて、「仕事はほどほどでいい、趣味が充実していれば」というタイプの人まで、「仕事にやりがいなくて大丈夫かな?」と無駄に悩んでしまうほど(笑)

なので、周囲の意見に惑わされず、自分にとって「仕事」ってどんな意味を持っているんだろう?と一度考えてみることは、大切なことかもしれません。

そんなこんなで(?)私にとっては「仕事」がとても大切なものであるという前提で、この先も読み進めて貰えばと思います!

30代の仕事振り返り

国家公務員を辞めようとアロマ教室に通うが婦人科疾患で断念

30歳になった頃、「どうしても今の仕事(国家公務員)を辞めたい」と考え、なぜかアロマ教室に通い、アロマの資格を取得しました。

(この頃はまだまだ自分が何をやりたいのか、どう生きたいのかひたすら模索していた)

アロマはIFAというかなりきちんとした資格で、資格取得のために120万円くらいはかかったかな?

なんかこの時、心身ともに本当に疲れていたんですよね(笑)今、思えば、アロマを仕事にしたかったというかアロマに癒されたかったんだと思う(笑)

あとは、「アロマ」が好きというより、自由にやれる「フリーランス・自営業」的な働き方に憧れていたのも確か。当時はそのことにあんまり気がついてなかったけど。

ただ、優秀な私ですから、好成績で資格の学校を卒業し、そのままアロマセラピストとして就職しようと、勇気を持って、履歴書を送ったんですよね。

そしたら、履歴書を送ってすぐに、職場の婦人科検診で「チョコレート嚢腫」ができたことを知らされて。年齢のこともあり、今は「妊活」をするべきだと、アロマセラピストになることを断念。

ただ、その後、病院に通いながら「妊活」していたんですが、ぜんっぜん!妊娠しなかったんですよね。「チョコレート嚢腫」の手術をした後も、全然、妊娠しませんでした。

「妊娠、出産するならきちんと産休・育休が取れる国家公務員でいよう」という目論見も外れ(その後の保活まで視野に入れていたのにw)。

なんかもう、何もかもがうまくいかなかったというか、何もかも自分の思い通りにいかなかった時期です。

「こうしよう!ああしよう!」と努力していたことが何も叶わず、叶わないだけじゃなく、壁にぶつかっていたような時期。

20代でうつ病になって、この頃にはよくはなっていましたが、それでも、やっぱり鬱のぶり返しみたいなこともあり、この時期は結構辛かったんじゃないかなと振り返ったりします。よく耐えたよね。

正直、今紐解いてみると、「アロマ」の仕事についていたとしても、私はどこかでうまくいかなくなっただろうし、この時に妊娠していたら国家公務員を辞められなかっただろうから、この天の采配は完璧ではあったんですが。

ただ、現実を生きている私としては、キツかったです。

今思えば、不妊をこじらせていたのも、下記の記事に書いたように「母親=不自由=なりたくない」みたいな図式が潜在的に出来上がっていたのも原因だったのかな、と。

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2023.03.13

だから、もう少し「世間体的に妊娠を!」みたいに躍起になる前に、「どうして子供が欲しいのか?」「子供と何をしていきたい、どんな影響を受けたい、与えたいのか」を自分軸で考えてみてもよかったのかもしれません。

まぁ、後から冷静に考えて「こうすればよかった」と思うことも、当時は、分からないものなんですよね。これも人生の修行ってやつですかね。

国家公務員として働くことの限界!ついに仕事を辞めることに

32か33歳くらいまで結局、仕事を辞める決断ができずにズルズル仕事を続けていましたが、ついに、2016年の9月で仕事を辞めることに。

妊活は、結局、病院に行きながら1,2年続けていましたが成果は出ませんでした。

導かれる人生を歩もう!私が運命に導かれていると感じた経験

2020.08.31

国家公務員を辞める時の話は、上記にも詳しく記載しています。

ここでは、「憎まれ役」の人や、「背中押し役」の人、宇宙の完璧な辞める流れなど、色々なことがあり、「やっぱり私は仕事を辞めるのが正解なんだ」と思ったっけな。ま、体調が限界ってこともあったんだけど。

国家公務員を辞めてからの模索(前半)

国家公務員を辞めて、無事に無職となった私でしたが、ライターの仕事にたどり着くまでには、起業しようとしたり、カメラマンをやってみたり、まぁ焦って模索していました。

これまで旦那さんと同じ、いや、それ以上に(笑)稼いでいた身として、どうも居心地が悪く感じていて、「早く稼げるようになりたい!」ともがいていましたね。

普通に貯金はあるし、旦那さんは優しくて収入も安定しているので、特に何も言われなかったにも関わらずです(むしろ、私が仕事辞めてからニコニコしていたから旦那さんもよりニコニコしていた気もするくらいw)。

つまり、自分で自分を追い詰めていたんですよね。無職な自分は価値がない!みたいに。

ただ、色々な本を読んだり、自分のことを振り返るまとまった時間を取り、アセアセ行動していたのを一旦辞めて、自分と向き合ったことで心を整えることができました。

そんな時ですね。突然、「あ、私は書くことを仕事にするべきなんだ!」とひらめいたのは。あれ、なんだったんだろうってくらい、ビビビときたんですよね~。

確か、会社員を辞めて、半年くらいでライターの仕事を始めて、1年過ぎたくらいにはパートに出るくらいの金額は稼げるようになっていましたね。

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国家公務員を辞めてからの模索(後半)

ただ、途中、色々なことにチャレンジしていたり、プライベートで色々大変なこともあったりしたので、結局、旦那さんの扶養を出られたのは、2021年だったかな?

でも、会社に依存した形でしたか給与をもらったことがない私としては、

こんな世界があるのか~

と本当に不思議な気持ちでした。

自分でお金を生み出すことってできるんだなぁという不思議。国家公務員の時は「お給料は我慢料」だと思っていたのに、「楽しく仕事をしてお金がもらえる」という感覚も不思議でした。

なんなら、本の仕事なんて楽しすぎてこっちがお金払いたいくらいなのに、逆にお金もらえるんだ~みたいな(笑)

この感覚を味わえて経験できて、「この世界線でこれからも生きてく!」と決められたことは大きな収穫でしたね。

現在は、体調不良で色々物事が進んでいませんが、おそらく飛躍するためにしゃがんでいる期間だと思われます。なので、現在は「より自分がやりたいこと」を頭の中でまとめているところです。

やりたいことをワクワク考えながら、体調と相談して、少しずつ形にしていけたらいいなぁと思います!

30代の「仕事」から学んだこと

仕事に向かうマインドって大切

30代、仕事をしていく中で学んだこととして、やっぱり「マインド」ってめちゃ大切だったなぁと思います。

やっぱり私は、「好きなことを仕事にする」ということを決めていたので、最終的に自分のやりたいことで稼げるようになったのだと思います。

当たり前ですが、

  • 好きなことを仕事にできるはずがない
  • お給料は我慢料
  • 誰かに養ってもらうから仕事はほどほどで←(笑)

などのマインドでは、今の結果を得ることはできなかったでしょう。

もちろん、上記のようなマインドが「悪い」とか「良い」わけではないです。

すでに書いている通り、自分にとっての「仕事」の価値観に依存するし、結局は、自分がどうしたいか「決める」だけだと思っています。

あとは、最近、特に感じているのは、

願い事はストレートに願おうぜ

ということ。

私も含めてなんですが、この世の中、自分の願い事をこじらせている人多すぎるなって思います(笑)

例えば、本当はやりたいことがあるのに、「いや、でも~になると大変だし」とか、成功したいと思っているのに「成功者って大変だし」とか言いながら成功者のスキャンダル批判したり(笑)

願い事と向き合わないための言い訳というか、叶わなかったときのセーフティーネットというか。

気持ちは分かるのですが、自分の感情的にはいいことないなって思います。

自分の願いをそれがたとえ恥ずかしい願いでも、周囲から否定されても、認めてしまうとすごく楽になるし、叶いやすくなります。

自分にとって結局は「最適」なところに落ち着く

昔を振り返っていてもすごく思うのは、

結局自分にとって「最適」なところに落ち着く

ということ。

私は30代前半でアロマセラピストになろうとしたけど、やっぱり、それは正解ではなかったし、その後は、なんとか妊娠して産休・育休を取ろうとしたけど(笑)、国家公務員を続けることも正解ではなかったんです。

ちゃんと魂の道があって、違う方向に行くことを阻止してくれていたんだと思います。

当時は、焦っていて心の声が全然聞けず、多少、遠回りはしましたが、結局は「好きなことを仕事にする」という夢を叶えることができたことから、過去を振り返って、「当時は辛くてわけがわからなかったけど、あれでよかったんだな」と思えています。

やっぱり、ライターの仕事を始めてからは、「頑張ってないのになんでこんなにうまくいくの?」という出来事が断然増えたことから、人は導かれているんだな、とすごく思います。

「頑張っても何もうまくいかない」から「頑張ってないのにうまくいく」世界線にチェンジした感じです。

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この一連の出来事があってから、何か嫌なことや大変なことが人生にあったとしても、「きっといい出来事に変わるのだろうな」「何か私が向き合うべきことがあるのだろう」と俯瞰して人生を眺めることができるようになった気がします。

上記のことを経験を通して理解できただけでも、30代前半にもがき苦しんだ意味はあったのかなぁなんて思いますね。

ただ、色々なサインがきているのに無視し続けると一向に状況は改善しないどころか、現実がよりシビアになっていくので、本当、心の声を聞くことが超大切だと思います。

まとめ

30代最後の年ということで、30代の「仕事」について振り返ってみました~!

プライベートについても振り返る機会があれば書いてみたいと思います。

この記事を書いていて、「私、仕事、頑張ったなぁ」と自分を褒めたい気持ちになりました。

そして、本当に、流れに逆らわずに生きること、自分の本音通りに生きることの大切さを再認識しましたね。

ということで、長い記事をここまで読んでくださってありがとうございました~!30代最後の年も楽しく、人生を味わいながら生きていきたいと思います!

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ABOUTこの記事をかいた人

10年間の会社員生活で、うつ病や婦人科系の病気になり、満を持して退職。「好きなことを仕事にして稼ぐ」を模索中。 登山と動物が大好きで、北海道移住を夢見る。30代旦那さんと2人暮らし。