さて、今日は、母(世代?アラカン~アラ70)の人生と、娘(私世代?アラフォーくらい)の人生について、思いを馳せてみたことを記事にまとめたいと思います。
結論的には、
本当にいい時代になったよね
って話なんですけどね。
あ、ちなみに若干、母のディスりっぽい内容になっちゃうかもしれないので、そういうのが好きでない方は回れ右?でお願いします(笑)
勘違いしてもらいたくないのは、私は、母のことは大好きです。
母の明るさや適当さ(笑)に助けられたことは数えきれないほどあったし、買い物や旅行も2人でよく行っていたほど仲良しでした(コロナが流行ってからあまりできなくなったけど)
誕生日にはプレゼントも渡してるし、海外に行きたがっていた母のためもあり挙式もグアムでしましたし、愚痴もできる限りは聞いているし、旦那さんと3人で旅行に連れて行ったこともあるし、
自分で言うのもなんですが、良い娘だとも思います。
なので、決して家族仲、私と母の仲が悪いわけではない、母は毒親ではないということをまずは言っておきたいです。
が、私は物心がついたときから、
母のような人生は歩みたくない
という気持ちを強く持っていました。
と、いうか、私は新興団地(?っていうのかな?ニュータウン的な?)の一軒家に住んでいたのですが、周辺には同じ歳頃の子供を持つママがたくさんいまして、ぶっちゃっけ、その人たちも含めた、周囲の母親のような人生は歩みたくない、
と強く心に決めており、反面教師として生きてきたところがありました。
ちょっと前置きが長くなりましたが、そんな前提のもとに、母の人生と私の人生について色々と自分の考えをまとめてみましたので、よろしければ読み進めてくださいね。
精神的なこと(夫と子供の功績は自分のもの論)
精神的な話って個人差が大きいのでなんとも言えないのですが、我が母は、精神的に成熟した大人とは言えませんでした。
最近、下記のような記事を書いている通り、人によっては非常に成熟した方もいるので、あくまで私の周辺のサンプルになっちゃうのですが。
私が子供の頃、見てきたママたちの精神的な傾向(あくまで傾向ね)をまとめると下記のような感じだったと思います。
- 夫に依存気味、大切なことを自分で決められない
- 旅行やイベントは夫が仕切ってやるものだと思っている
- 夫と子供の功績は自分の功績と勘違い
- 謎のママ友派閥を作って、時に悪口大会
- あの人の夫は~、子供は~など、他人のどうでもいいことばかりを話題にする(話つまんねー)
我が家の周辺でも、専業主婦たちの派閥があって、母は近所の人に無視されてましたね(汗)無視って・・・女学生じゃないんだから・・・。
すごく覚えているのが、その無視してきた派閥のボスママ(?)には、私より一学年上の子供(男)がいたのですが、当時、近所で1番上位の高校に行ったんですよね。
ただ、翌年、私と、近所の同学年の男の子が、ボスママの子供より偏差値の高い高校に入学したからさぁ大変!!!!(爆)
ピーンポーンとチャイムを鳴らし、わざわざ、我が家に訪問(お前、母を無視してたんじゃなかったんかい?)、
「うちの子供も、あなたの娘と同じ高校に行く実力はあったんだけど、先生が資料を取り寄せてくれなかったら受験できなかった」
とよく分からなことを言って、帰っていったそうです。
いや、どういうこと!?自分で資料って取り寄せできないんだっけ?(笑)
って感じで、大人らしい振る舞いとは言えないことを近所の母親たちもしておりました(40代とか50代でこんな感じってどうよ?)。
我が母もよく「~さんの家はお父さんが色々なところに連れてってくれるのにうちは、、、!」とか「1度でいいから海外に言ってみたいわ~。行ったことないまま死ぬのかしら」とかよく言ってましたね(今思うと被害者面がすごい。自分で計画すればいいだけなのに)。
つまり、依存的な精神状態、また、他責感が強い傾向にあったように思います、当時の女性は(あくまで傾向ね)
あとは、夫と子供の功績は、別に母親の功績ではないですよね。そこを混同して、子供の成績などで競い合っている母親が多かったイメージです。
もちろん、サポートしてもらえた夫と子供は感謝すると思いますが、社会的には「で?あなたは?」って話ですよね、どうしても。
現在は、働く女性も増えているので、自分の力で切り開いたこと、自分の仕事の実績、そこから学んだこと、自分なりの哲学や考え方を持った人が昔よりは確実に増えたと思います。
そういう意味で、私は、いい時代に生まれたんだな、と思います。教育が制限されていない時代だったのも大きいですね。
夫婦関係・恋愛
我が母は「お見合い」で、モラハラのひどい父と結婚しました。私は大学生の頃に出会った、好きな人と結婚しました。その時点で、いい時代に生まれたわ、と言わざるを得ない。
母の世代でも恋愛結婚は多かったですが、まだお見合いもあった時代かと思います。母を見ていて思うのが、「お見合い」ってなんか結婚させられた感があるのかなって。
よく、「お父さんと結婚しなかったら・・・」といった愚痴を聞いていましたから。
お互い嫌い合ってたのに、離婚もせずに喧嘩ばかりの家庭で育った私です(夫婦が子供の前で激しい喧嘩するのって今は子供へのDVって言われているらしいね)
恋愛結婚で上手くいかなくなったら「私の見る目がなかったのね。今後は・・・」と他責にすることなく、自分自身の行動につなげられそうですが、お見合いだからか、社会と父が悪いというのが母の根本にはあったようです。
つまり、母は結婚制度と父にとっての被害者?のようでした(ま~でも当時はそういう一面もあったのかな~。なにせ、女性が男性に「あてがわれた」時代だったもんなぁ)。
一方、私は父とは似ても似つかない、正反対の優しい人と結婚したので、平穏な結婚生活を送っています。ありがとう、反面教師。
母親像
これ下記の記事にもチラリと書いたんですが、当時の母親で綺麗な人ってあんまりいなかった気がする・・・。
田舎だからっていうのもあったのかもしれないけど、おしゃれなお母さんっていたかな・・・?記憶にない。
多分、昔の方が「母親が女をだすな」的な社会的圧迫が強かったんだとは思いますね。
不倫とかもなぜか女性ばかりがバッシングされてたし。「不倫って間の夫が1番悪いやん」っていう意見が多くなったのも最近のような気がしますよね。
ただ、ここまで書いてきて思いますが、精神的にも成熟しておらず、見た目も気にしない妻だったとしたら、男性も不倫したくなるかもなぁとも思っちゃいますね。
同じように未熟なら、若い女の子の方がいいもんな・・・。
特に、父世代の男性は、いい時代でもあっただろうけど、それこそ「男らしさ」というものを強く求められた時代だったから、人によってはストレスも大きかったと思います(だからって不倫に走ってOKって訳ではないですが、もうそこは個人の話なので)。
そして、私は、父に対しても「父は本心ではどんな人生を歩みたかったのかな?」などと思うことがあります。
母のような生き方はしたくないと言いましたが、もちろん、父のような生き方もまっぴらごめんであります(感謝とは別の話でね)。
ただ、結婚して、出世して、飲み会行って、ゴルフ行って、家を買って、定年退職まで働いて、、、という強いステレオタイプの人生が強くあったから、「自分の本心」など考える暇がなかった人も多かったんじゃないかな、と。
モラハラで家族を抑えてつけてきたはいいものの、退職してから家族の誰にも相手にされないお父さんも多いだろうし、まぁ、私の両親を見ている限りは、昭和は決して幸せな時代ではなかった気がしちゃいますけど、どうなのかな~。
経済的なこと
話が脱線し続けていますが、最後に経済的なことを。
私は、母を見ていて1番影響されたのはここでしたね。
母はいつも、
「経済力さえあれば父と離婚したい」
と言っていましたから。
「子供がいるから離婚できない」
とも。
子供的には「自分のせいで離婚できない=自分のせいで母が不幸」という図式が出来上がるために、それはそれは、母に尽くしていましたよね。
私が反抗期などもあまりなかったり、世間的に優秀な人ルートを歩んできたり、母に旅行やものをプレゼントしたりしたのも、一種の贖罪だったのかもしれません。
「どうして母は被害者顔をして、同情を誘って優しくしてもらおうとしているの?お父さんと離婚しないことを決めているのは自分なのに」とドライにある程度、距離を取れるようになったのは30代になってからでしたね。
また、
経済力のない女性の人生は地獄
という価値観が細胞に染み渡るように形成されてしまったのも、母親を見ていたからです(笑)
おかげさまで、中学生の時から夢は「キャリアウーマン」でした(笑)
そう考えると、今は昔と比べると女性も稼ぎやすくなっているし、女性でも起業やフリーランスで働いている人も多いし、いい時代になりましたよね。
いまだに、母に、私が家でPCのみで仕事をしていて、稼いでいる話をすると、驚かれますもんね。
私が母に望んでいたこと
ここまで書いてきましたが、結局、私が母に望んでいたのは、
勝手に幸せであって欲しかった
ということなんですね。
母は被害者であることで、娘が必死に自分を幸せにしてくれようとしていたことを、なんとなく気がついていたのかもしれません。
私は結婚するときに「罪悪感」を感じたのですが、それも、実家を出ることで、母のケアができなくなるところからきていました。
母が自立しており、勝手に幸せそうに生きていてくれていたら、こんな罪悪感も感じなかったでしょうし、私も若い時から自由に生きれていたと思います。
「私が母を幸せにしなくちゃ」の価値観は結構根深くあり、母を喜ばせるために色々頑張ってきたがために「私は頑張らなければ愛される価値がない」という潜在意識も、手放したつもりが未だに顔を出すこともあります。
ま、ただ、これも全て、私の人生の修行だったんだろうと思います。
今は、母を反面教師に、
- 経済的に自立して
- 夫と対等な関係を築き、愛され
- 自分がやりたいことは人に頼らず全て自分で行動し
- いくつになっても自分をケアし綺麗にすることを忘れない
といった人生を歩めています。
もちろん、母が不幸だったのかどうかは、母にしか分かりません。私にとっては「違うな」と思うことでも、母にとっては正解だったのかもしれないですし。
母の人生と私の人生は違うし、それぞれの人生に責任を持つのは、「自分」でしかないですからね。
ただ、ここまで母を反面教師にしてきましたが、ひとつ大きく感謝しているのが、ジェンダー的な縛りを私に押し付けなかったことです。
特に、
女は結婚して家庭に入るのだから勉強しなくていい、就職しなくていい
といった価値観を押し付けられなかったこと。
仕事に邁進していた私を応援してくれたことを心から感謝しています。
だからこそ、私も夫に「男らしく~」ということを求めることもなく、お互いうまく対等な関係でいられるのかな、と思ったりします(ま、実は、私の方がいろんな面で強いんですがw)
まとめ
長文の記事をここまで読んでくださってありがとうございます!
母世代の人生と私(娘世代)の人生を比べて、
「今は、本当、女性にとっていい時代になってきているね」
って話をしようとしたら、色々な私の内面分析みたいな記事になっちゃいました~。
ま、そんな日もあるということで。
今の時代はステレオタイプの母親になる必要はないし、自分で人生を切り開きやすいし、自分次第でいくらでも「自由に」生きられるかな、と思っています。
私は今後もより一層「自由に」生きること、女性であることを心から楽しむことを決めています。