承認欲求をなくす方法|人にどれだけ認められても心は満たされない




KUMAKO
承認欲求が強くていつも苦しんでいたKUMAKOです。
ハシビロコウ先輩
宇宙に存在を祝福されているので人畜生からの賞賛などいらないハシビロコウ先輩です。
上野動物園の動かない鳥、ハシビロコウ
『ワイのままでパーフェクト』byハシビロコウ先輩(撮影:KUMAKO)

私は、今でこそ他人から良く思われたいとか、人から見て理想的な生活をしようとかは、あまり思わなくなりましたが、

昔は「親にとっていい子でいなければ」の延長線上で、職場の人や友人や世間一般の人に良く思われなければと、人から認められたいという気持ちが強い人間でした

承認欲求が強かったんですよね。

でも、ずっと人からの評価を求めて、それなりに評価もされてきたけれど、心の底から満たされることはなく、常に「もっと評価されたい」という気持ちに追われていました。

承認欲求が強かったゆえに、不自由で苦しい人生だったのです。

今日は、そんな私の経験を元に「どうして人からの評価を求めてしまうのか?「人から認められても満たされない理由は何なのか?」「承認欲求を少しでも減らすにはどうしたらいいか」について記事にしてみました。

承認欲求が強いのはなぜだろう?

自分に自信がないから

昔の私は、自分に自信がなくて、常に満たされない思いを抱いていました

だからこそ、人から容姿を褒められたり、仕事で評価されたりすることで、心の隙間を埋めようとしていたのです。

その時は、人から認められることで、心の隙間を埋められると思っていました。

  • 自分に自信があって、周囲の人からの評価を怖れない強い気持ちがある。
  • 自分の評価は自分でするものと思っていて、周囲の人の評価は参考程度に受け止めている。

このような心理状況であれば、人から評価されることに固執することはないでしょう。

現に、今の私は、自分で自分のことを評価してあげているし、「私はこのままで完璧」という図々しい自信があるから、他人から評価されなくても心は満たされています。

自分と対話ができていないから

自分との対話ができていないと、自分の軸を見失い、常に他人の軸に意識が向けられた状態になってしまいます

自分が本当は何が大切なのか、自分が何に幸せを感じるのかをよく理解できていないから、手っ取り早く高揚できる人からの評価を求める

そして、気が付くと「他人から見た自分」ばかりに重きを置いて、人から認められること=自分の価値だと勘違いしてしまっているのです。

人に認められても満たされない

常に「人からどう思われるか」を気にして行動し、それなりに評価もされてきましたが、本当の意味で心が満たされることはありませんでした。

容姿を褒められたり、仕事を評価されたりすることで、一瞬は満たされたような気持ちになるのですが、すぐに満たされない気持ちが襲い掛かってきます

人からどんなに認められても満たされることがないのはなぜなのでしょうか?

さらなる評価を求めてしまうから

私は、仕事を頑張っていた時期に、結果としてボーナスが多くもらえたり、昇進したりした経験があります。

上司も私の頑張りを認めてくれて「よく頑張っているね」とか「優秀だね」と言ってもらえ、承認欲求が一時満たされていたのです。

でも、承認欲求が満たされたのは一瞬だけで、「もっと期待に応えなければ」「もっともっと認められたい!」という気持ちが強くなり、どんどんと自分を追い込んでいきました

頑張った結果、人に褒められたり認められたりしても、常に「もっともっと!」と承認されることを求めていたら、いつまでも満たされることはありません。

私は、幸運にも(?)うつ病になって倒れることで、「人から認められるって何だろう」ということと向き合うことができましたが、

倒れなければ今でも自分を蔑ろにして、人から認められることを求めていたかもしれません。

他人の評価に振り回されてしまうから

「人からどう思われるか」「人から認められたい」という気持ちが強いと、他人からの評価に一喜一憂して、振り回されることになります。

でも、当然ですが、世の中すべての人が自分を評価してくれる訳ではありません。

例えば、「可愛いね」と容姿について褒められて、承認欲求が満たされても、他の人に「女として見ていない」などと言われると、すぐに傷つき落ち込んでしまうのです。

私も女の端くれですから、「自分の容姿がどう見られているか」にとても敏感だった時があります。

他人から「女としてみていない」と言われたのは実話で、「人からの評価=自分の価値」と思っていた当時は、大きなショックを受けました

今、振り返ると「そもそもブサイクで嫌いな人に女として見ていないって言われて、どうして傷ついたんだろう。小躍りしてもいいくらいなのに・・・」と思いますが、

ハシビロコウ先輩
嫌いなやつに言われたのか。いや、それでも小躍りはおかしいだろ!

当時は、好きでもない人から「可愛い」と言われて喜んだり、嫌いな人にでも「可愛くない」と言われれば傷ついたりしていたんですよね。

(今だったら「いや、あんたも自分の顔鏡で見てみなよ!ブサイクほど人の容姿にうるさいんだよね(笑)」くらいに思えるのに。(笑)←オイ)

人からアレコレ評価されて、そのたびに振り回されてしまうので、誉められて満たされた心も、次の瞬間他の人から批判されれば、すぐにしぼんでしまっていました。

だから、永遠に満たされることがない

嫌いな人からどう思われているかなんて世界一どうでもいいし、好きでもない人やおじさんから「可愛い」って言われても気持ちが悪いだけなのにね。

承認欲求が強すぎて自分軸を見失っていると、そういうことが分からなくなってしまうのです。

結局は自分が自分を認めること

人からどれだけ認められても心は満たされなかったけれど、自分が自分を認めることで、あっさり満たされるようになりました

人からの評価なんて所詮無責任なもので、気分でコロコロ変わるような流動的なものです。

そんなものに振り回されて、自分を見失うのはバカらしいと思いませんか?

自分の外側にばかり意識が向くと、「あの人は私のことどう思っているのか?」ということばかり考えてしまいますが、大切なのは自分の内側の方です。

「あの人は私のことどう思っているのか?」よりも、「私があの人のことをこう思っている」という方に目を向けてあげてほしいのです。

意識が常に「自分」にあれば、人から認められるためではなく、自分基準で物事の決定や行動を起こすことができます。

私は、誰かに認められるために生きるのを辞めて、自分のために生きることを決め、今は他人に何を言われようと自分を貫いています。(笑)

自分を認めているし、自分を信じています

容姿も自分で可愛いと思っていればOKだし、仕事も自分で成長したと思えればOK。

人から認められることばかり求めていた時は、たとえ認められてもどこかに虚しさがあったけれど、自分で自分を認めてあげることで、虚しさも消えていきました。

まとめ

今日は承認欲求について記事にしてみました。

人から認められるために生きていた頃は「あの人からどう思われているんだろう?」と怯え、人からよく見られるために行動を重ねてきましたが、どんなに認められても満たされることはありませんでした。

人から認められることに固執しすぎると、自分を見失い、大切なものを見失ってしまうことすらあります。

自分は自分のために生きていることを、常に忘れないようにしたいですよね。

堀江貴文氏『自分のことだけ考える』の感想・悔しいけどだいたい同意

2018.04.17

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ABOUTこの記事をかいた人

10年間の会社員生活で、うつ病や婦人科系の病気になり、満を持して退職。「好きなことを仕事にして稼ぐ」を模索中。 登山と動物が大好きで、北海道移住を夢見る。30代旦那さんと2人暮らし。