最近、昔のブログなどを読み返し、アラスカや北海道、立山の景色をぼんやりと思い出したりしています。自然のあるところでボーッとして、空と一体化するのが大好きです。
また自由にあちこち旅行に行けるような日々が戻るといいですね。アラスカに、またいきたいなぁ、、、アラスカの大地に埋まりたいです、もはや。
ということで、今日は「人はどこまでいっても分かり合えない」って話をしてみたいと思います。
最近、私は不妊治療をしていて、まぁ色々あって、今は治療を休んでいるのですが。アメブロで、少し不妊治療の経過を書いていたんですよね。
同じように不妊治療の経過を書いている人はたくさんいて、参考に読んでいたりしたのですが、見事に人によって状況って異なるんですよね。
同じ「子供が欲しい」という目的を持った人たちでありながら、人によって悩みが全然違う。
- 体外受精はせずに自然妊娠を試みている人
- 体外受精を始めたけど卵が取れない
- 受精がうまくいかない
- 移植を何度もしても妊娠しない
- 妊娠しても流産してしまう
など。
そして、色々な人のブログを読んでいると、例えば、
「私は、体外受精までしてるから自然妊娠で悩んでいる人の気持ちわからない」
「体外受精1回か2回で妊娠した人に辛かったとか言ってほしくない」
「2人目不妊の人が落ち込んでいる理由が分からない、ひとりいるからいいじゃない」
「流産すら、妊娠できたってことでうらやましく感じてしまう」
というようなですね。。。
同じ目的に向かっているはずなのに、それぞれ細かい状況は違って、自分の状況以外の人の気持ちが分からないという発信をよく見るんです。不妊治療の闇が垣間見れます。
もちろん、その気持ちも分からなくないんです。
私だって、5年くらい妊活が実らず体外受精にまで挑戦しているけどうまくいかない人なので、「半年も妊娠しなくてすごくすごく悩みました!(もちろん自然妊娠)」という発信を見たら、
「え?」って思ったりした時もありました。半年で自然妊娠したのに、何が辛かったのよって。
2人目不妊ですごく悩んでいる人を見ても「1人いるのに?」って思っていた時がありました。
でも、色々考えていく中で気がついたんですよね。
『今あるものに満足できてないという意味ではみんな同じ』って。
だって、子供がいなくても、不妊治療をしているってことは「この人との子供が欲しい」と思えるパートーナーがいるってことですよね?
パートナーが欲しいのになかなか見つからないという人からしたら、羨ましい状況と言えると思うんです。
そして体外受精に耐えられる健康な体も、体外受精に挑戦できる金銭的余裕もあるわけで。体の不調にいつも悩んでいる人やお金に苦労している人からしたら羨ましい状況ですよね。
だから、1人目不妊で悩みすぎている人も、2人目不妊で悩みすぎている人も、、、ないものに執着しているという意味では同じなのかな、って。
そして人ってやっぱり、そういうところがあるんだろうなぁということを思ったんです。
特に女性ってどの道を選ぶかで人生が大きく変わってきて、独身、既婚者、子供持ち、などそれぞれの立場で色々な悩みがあって。
なかなか他の立場の人の大変さを分かり合う、っていうのが難しいのだと思っています。
子供がいなくて悩んでいる人にとっては、子供の悩みは羨ましいくらいに感じることもあって。だけど、きっと子供悩みも本当に深くて大変だと思うんです。
他にもいろいろな悩みがあって、例えば旦那さんが不倫しちゃったとか、親とうまくいかない、義母とうまくいかないとか。
でも、やっぱり実際に経験してみないと想像でしかなくて、例えば旦那さんが不倫したという悩みが綴られたブログに、包丁とか持ち出しておかしくなってしまうくらいに深く沈み込んでしまったと書かれているのを見ても
「どうしてそこまで悩むの?」って感じる人がほとんどだと思います。
「旦那が不倫したなら離婚すればいいじゃない、、、子供もいるのに」とか。だけど、本人は本当に本当に、死にたくなるほど苦しいのだと思います。
そういう状況を見ていると、私は、「人はどこまでいっても分かり合えない」そう思うんです。
でも、それって悲しいことではなくて、私は「あなたの気持ち、私はよく分かるわ」という方が傲慢なんじゃないかと感じています。
理解するふりをして、有益そうなアドバイスをする方が傲慢ではないかと、最近は思うようになってきました。
以前は、人が悩みを打ち明けてくれた時、自分の近い経験からアドバイスをしていた時もありました。でも、それって、「自分の経験」であって、その人のことをちゃんと考えられていたのかなぁなんて振り返ります。
それより、
「あなたの気持ちを完璧に理解することはできない、だけど寄り添いたいと思っている」という気持ちを持つことが大切なのかな、と思うようになりました。
だって、人の気持ちを完璧に理解するなんて難しい、育った環境も見てきたものも、影響を受けたものも違うんだから。
それを理解した上で、人の気持ちに寄り添えるような人間になれたらいいなぁと、最近は思ったのでした。
(おわり)