どうして自暴自棄にならないんだろうと考えてみて気がついたこと




最近、以前と比べてみると心が死んでいるところがあるんですよね(笑)

ちょこちょこ書いているのですが、結構しんどい出来事があって、未来が見えなくなって、未来の箱を開けるのが楽しくなくなって。

なるべく何も考えずに日々をやり過ごそうとしているところがあります。色々考えると辛くなって、前に進めなくなってしまうから。

会社員を辞めてからは、何か悩みがあっても、どちらかというとなんとか前向きに考えられる抜け道を探して、ポジティブに生きてきたと思っています。

落ち込んだとしても、そんなに長くは続かなかったり、「それでも結局はうまく行くから大丈夫」と確信できていました。

今でもその気持ちは変わっていないのですが、多分数年ぶりくらいに、心がガツンと削られていて、ちょっと以前の私に戻るまでには時間がかかりそうと思っています。

ただ、自分で気がついたのですが、そんな中でも仕事はするし、掃除はするし、オンライン英会話もやってるし、ジムにも行ってるし、新しいことにも挑戦しているし。

人それぞれ色々な辛いことがあって、その程度も異なるので何とも言えませんが、人によっては辛いことがあったときに自暴自棄になってしまうこともありますよね。

例えば、お酒に走ったり、食に走ったり、薬に走ったり、セルフネグレクトみたいに逆に食べなくなったり。

今、私は自暴自棄になってもいいような状況ではある。なってもいいっておかしいけど、そうなってもおかしくないようなことがあったことは事実で。

でも、現状は、仕事してジムに行って、英会話やって、新しいことやって、美容院行って、歯医者行って・・・。

そこにあまり心はこもってなくて、例えばオンライン英会話も以前は「TOEICで~点取るぞ!」って意欲があったけど、そういうのはなくて、本当に淡々と心を動かさずにやっているだけではあるけど、何となく前に進んでいる。

どうしてそうやって過ごすことができるのかな?、自暴自棄にならないでいられるんだろう?、私は強いのだろうか?と何となく最近考えていて、気がついたことがあるんですよね。

それは、結局、私は「私が大切なんだ」と。

自分のことが大切という気持ちがあるから、何か壁にぶち当たっても自暴自棄になることはないんだと気がついたのです。

お酒に走ったり、お菓子食べまくったり、薬に走ったり、家事を放棄したり・・・そういうことをしても自分のためにならないって分かっているからやらない。

自分を傷つけることはやらない。なぜなら、確固として「自分が1番大切」という価値観があるから。

そして、どこかで「自分はこれまでも色々なことから立ち直ってきた。今回もきっと立ち直れる」という信頼もあるんだと思います。

だからこそ、心が死んでいても、淡々とジムに行ったり英語の勉強したりして、立ち直った後の私の役に立つように今を生きているのだと気がつきました。

また、もしかしたら自暴自棄になってしまう人の中には、「他責思考」があるかもしれません。誰かの気をひくために、「自暴自棄になれば、誰かが助けてくれる」という気持ちが潜んでいるのかも。

でも、人が神が何かが助けてくれることなんてない、もちろん、それはサポートを受けることを否定しているのではなく、

私は結局、「自分を立ち直らせられるのは自分だけ」と思っています。

誰かの言葉や行動で励まされることはあっても、結局、立ち直ると決めて、足を前に進めることができるのは自分だけなわけで。

何かがあった時はどんなに辛くても1度現状を受け入れるしかなく、受け入れて、落ち込んで悲しんで苦しんで、向き合うしかないのかもしれません。

そうすることによって、また少しずつ歩けるようになってくるのだと感じています。

(おわり)


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ABOUTこの記事をかいた人

10年間の会社員生活で、うつ病や婦人科系の病気になり、満を持して退職。「好きなことを仕事にして稼ぐ」を模索中。 登山と動物が大好きで、北海道移住を夢見る。30代旦那さんと2人暮らし。