今日は、最近よく聞く「自己責任論」についてツラツラ書いていきたいと思います。
いや、特段、強烈な主張があるわけではないのですが、ふと思ったことや、この「自己責任論」への自分の捉え方が変わったこともあり、その点についてまとめたいと思ったのです。
例えば、「太っていること」「貧困に陥ってしまったこと」「仕事ができないこと」「子育てが大変なこと」などはすべて自己責任で片付けることができると思いますか?
目次
ゴリゴリの「自己責任論者」だった昔のこと
今では少し考え方は変わっていますが、昔はゴリゴリの自己責任論者でした(笑)
自分があらゆる努力で結果を掴み取ってきた人間であるという自負から、学生時代には勉強ができないのは自己責任だと思っていました。
(なんか中学生の時に「KUMAKOは勉強できてズルい」みたいなことを言われた記憶があるんですが、普通に「じゃあお前も努力しろよ」と思っていた記憶(笑))
また、私は大学卒業してから国家公務員になったので、「公務員いいな~」なんて言われることも多かったのですが、
「こっちは今後のライフイベントのこと考えて、前もって勉強して公務員合格を掴み取ったのよ。羨ましいなんて言うなら自分も努力すればよかったんじゃない?」と思っていました。
本当に「自己責任」なのだろうか?
そんなこんなでゴリゴリの「自己責任論者」だった私。
自分が自分に対して「自己責任」と称して頑張ることは、やりすぎなければそんなに悪いことではないかもしれません(まぁ、やりすぎると「うつ病」になりますが)
ただ、最近は、「他人にそれを押し付けるのはどうなのかな?」と思うようになりました。
本当に30代になってやっと気が付いたのですが、私はおそらく、日本社会で生きる分には、色々な意味で恵まれています。
例えば、「努力すること」「コツコツ積み上げること」がそもそも苦ではなかったり、コミュニケーション能力や理解力・説明能力も低くありません(低かったらライターできない)
親は経済的にそこそこ裕福なので、奨学金なしで私立の大学を卒業しています。
遺伝だと思いますが、昔から勉強が苦ではなくできる方ですし、運動神経も元からよくて学年のリレー選手になったり部活でも副部長になったりしてました。
ただ、ある程度同じ経済状況の子達が集まる高校生になると、みんな勉強もできるしスポーツもできます。なんなら、容姿も良い子が多く、親に愛情かけて育てられているから性格すら良い。
大学の友達も「親が弁護士」みたいな子はざらにいたし、国家公務員の同期もみんなそんな感じでした。
なので、それが「普通」だと思い込み、自分がいかに恵まれているかということに気がつかなかったのです。
むしろ、周りと比べて「ないもの」ばかりにフォーカスしていたかもしれません。
そして、恵まれた人間は、「恵まれている」ということに気がつかないまま、「自分は努力したからここまでこれた」と、最悪の場合、苦しんでいる人を「努力不足」などと見下すのだと思います。
自己責任論って今はそこまでいっちゃってるの?
最近、Twitterを見ていると、「自己責任論」が悪い意味で進化しているように感じます。
- 貧困に陥ってしまうのは自己責任
- 太ってしまうのは自己責任
- 結婚できないのは自己責任
- 仕事が辛いのは選んだ自分の自己責任
- モラハラやDVを受けるのはそういう人を選んだ自己責任
- 子供の発達障害で悩むのは自分が発達障害と知っていて産んだ自己責任
みたいな・・・。ゴリゴリの「自己責任論者」だった頃の私が聞いても「ええぇ!?」と、ドン引きするような言論が見受けられたりします。
特に「子育てが大変」とつぶやくお母さんに対して、「産むことを選んだ自己責任」というリプライがついているのには、結構びっくりする・・・。
配られたカードがひどくても「自己責任」?
昔は確かにゴリゴリの「自己責任論者」ではあったのですが、最近は考えが変わりました。
かのスヌーピーの言葉で、
「配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういう意味であれ」
みたいな言葉ありますけど、これ、配られたカードがひどかったとしても全部自己責任なんでしょうか?
自分や自分の周囲が「日本で生きてくのに有利なカード」を当たり前のように持っていると、気が付きにくいのですが、どんなカードを持っているかって人によってかなりの差があるように感じます。
例えば、「空気を読む能力」「コミュニケーション能力」なんかは、学生でも社会人でも持っているか持っていないかで、人生の有利度が色々な局面で変わってきます(持っていれば学生時代は友人や恋人に囲まれて自己肯定感を高められたり、社会人になれば就職の面接がうまくいきやすかったり、上司に可愛がられたり)。
で、発達障害の方とかは、この2つの能力が高くないことが多いと聞きました。
ただ、それでも「学習能力」や「IQ」が高ければ、仕事である程度の地位を築いてしまって、自分が空気を読まなくてもいい状況を作れるかもしれません(私はあまり会ったことないですが、医師などは発達障害の人多いと聞いた・・・)
じゃあ、配られたカードに上記のうち、どれも入ってなかったら?
そんな時も貧国や精神疾患になってしまうことは「自己責任」なのでしょうか・・・。
そもそも、現在、学校教育で普通に行う「勉強」や「スポーツ」すら「遺伝子」の要素が大きいことが分かっています。(残りは家庭環境。家庭環境も子供にはどうにもできん)
ちょっと前に流行った「親ガチャ」をため息交じりに言いたくなる若者の気持ちも分からなくないです。努力では越えられない壁ってあると思います。(そもそも「努力できること」も遺伝子説ある)
もちろん配られたカードの強さというのは、「社会がどのように作られているか」に依存するので、その能力自体がいいとか悪いとかではありません。
ただ、社会で生きていくためには、配られたカードは非常に重要で、日本で生きていくためには日本社会で有利なカードがないと非常に辛いかなと思うので、なんでもかんでも「自己責任論」で終わらせるのは酷だよなぁ、、、なんて思うのです。
なんでも「他責思考」であればいいのとは違う
とはいえ、なんでもかんでも「他責思考」であれば良い訳では、もちろんないです。
実際、自分の努力が足りない部分を省みらず、自分ができることややるべきことをやらずに、人のせいにして文句ばかり言っている人を好きな人はいないでしょう。
ただ、例えば「デブは甘え」といっても、そもそも太りやすかったり、大きなストレスに悩まされていたりしてどうしても食べずにいられない場合も「自己責任」なのか、とか考え出すと、もう分からないんですよね。
どこまでが自己責任で、どこからが自己責任でないのかは、私はもう分かりません(笑)
とはいえ、世の中で「自己責任論」が扇風しているのも、成功者が「自己責任論」を振りかざすのも、結局は、「人のせいにしても何も変わらないから」という部分が大きいからだと思います。
現状、配られたカードが弱くても、その中から自分で工夫して今の状況を抜け出すしかないからです。人のせいにしたところで何も変わらないですから。
でも、自分が事情も知らない他人に、思い込みだけで「自己責任論」を押し付けるのは、何か違うかなと思います。
なんか色々つらつら書いて分かりにくくなっていますが、自分の中で「自己責任」の名のもとに色々頑張るのはOKだけど、他人に「自己責任」を押し付けるのはやめようと、私個人の結論としては思いました。
まとめ
今日は、最近巷で話題の(?)「自己責任論」について思うところを書いてみました。
本当に昔はゴリゴリの「自己責任論者」だったんですけどね。結構尖っていたと思います(笑)
年とともに、今まで知らなかったことや理解し得なかったことが分かってきて、自分の意見も柔軟に変わっていくものだなぁなんて思いました。