ずっと許すことができない流産した時の話




KUMAKO
今日はちょっぴりヘビーな話かもしれないので、興味のある方のみどうぞ
ハシビロコウ先輩
たまには真剣な話もするんやで
(撮影:KUMAKO)

さて、今日はずっと許すことができなかった流産した時の話を少し書いてみたいと思います。

私が流産をしたのが2020年の10月だったかな。

不妊治療で2回目の移植でうまくいって、不妊治療の病院を卒業した後の出来事でした。

実は、妊娠の陽性反応を聞いたのが旦那さんの誕生日だったり、予定日が5月と良い時期だったり、出産するための病院の予約が大人気にもかかわらずたまたま取れたり、

色々な幸運が重なって「この子は大丈夫だろう。生まれてくる意思を感じるね」などと旦那さんと話していたのです。

だからこそ余計に、9週の壁を超えた後の10週での流産には本当にショックを受けました。目の前が真っ暗になったような気持ちでした。

流産した後の2021年は、本当に自分にとっては色々成し遂げられた年でもあり、確かに妊娠・出産をしていたら今の自分はなかったでしょう。

2021年を振り返って〜本出した・筋トレしまくった・食生活変わったなど〜

2021.12.31

もちろん、これまでの人生の中でも「どうして私がこんな目に」と思う出来事はいくつかありました。というか、生きていれば誰もが直面することかもしれません。

ただ、これまでは、その後に自分なりに整理をしたり、その出来事を正解にするための努力をしたりして、どんな出来事も「これでよかったんだ。この出来事があったからこそ今の自分がいる」と思えてきました。

ブログにもそんなことを書いたような↓

人生の苦難の乗り越え方|最終的には自分の最善にいきつく

2020.09.22

でも、2020年の流産のことは、子供を無事に産んだ後ですらずっと燻っていたのです。

「許せない」というのは、誰かに対して許せないというわけではなく、なんでしょう、天命的な、運命的なものを許せないと思っていました(すんごい壮大。笑)

で、何がそんなに許せなかったかというと、2つあります。

まずは、流産の手術の前にPCR検査が必要で、唾液を取ることになったのですが、その部屋が妊婦さんと1ヶ月検診のお母さんしかいなかったということ(汗)

幸せな部屋の中で、1人、仕切られたスペースで唾液を吐き出し続ける、、、って、拷問か何かですか?という。

ああいう運命を与えた何か、マジで許せないわ

あとは、ちょうど流産手術の前後、旦那さんがヘルニアになったこと。

旦那さんを許せないわけではなく、そういう流れにした何かが許せないんです(2度目)

手術が終わったあと、隣で手術を受けていた方は旦那さんとお母さんが迎えに来て、車で帰って行きましたが、私は1人、電車で家まで帰ったことを忘れられる気がしません(旦那さんがヘルニアで迎えに来れなかった)。

そもそも、長年不妊に悩んでいて、治療をしてやっと妊娠したのに流産してしまったというだけで、かなり辛いのに。

上記の2つが重なって、かなりメンタルをやられておりました。

さらに、不妊治療の病院を卒業した矢先だったのもきつかったです。

何せ、「卒業おめでとうございます」というカードをもらって、祝福されたあとだったというのもあり、不妊治療の病院にも非常に戻りにくくなってしまいました

その病院からは、出産予定日あたりに「生まれた子供の性別や体重を教えてください」といった案内が来たし、そういえば、行政からも何か届いたような(心が麻痺していて覚えてない)

そんな傷心を抱いた私にどんどん追い打ちをかける事態に、これまで何か辛いことがあっても「この出来事はきっといいことに変わる」とどこかで思えていた私ですら、

「ずいぶんと嫌がらせしてくれるよね」

と心から思いました。笑

確かに、2021年は自分の中で流産したことを悲しいまま終わらせないために、本当に色々な行動をして(筋トレで自分に自信が持てるようになったとか、TOEIC800点以上とったとか、扶養を出たとか)、自分の人生のターニングポイントにはなったと思います。

だけど、それも、私が自分で努力したことで、「お前は私に嫌がらせしかしてねぇだろ!」と神に悪態ついてました←メンタルやられすぎ。笑。

最近になってようやく、少しずつ「許せるかも」と思えてきていて、それはやはり生まれてきてくれた息子がスクスク育ってくれているから。

そして、旦那さんと「今の息子じゃなくちゃダメだったよね」と話せるようになったから。

何かタイミングや運命や、人生の中の何かが少しでも違っていたら今の息子に会えなかったと思うと、流産の傷が少しずつ癒えていくのを感じます。

でもやっぱりまだ、前後の出来事全てを含めて完全に「許せる」日が来る、「あの出来事は私に必要だった」と思える日が来ることは想像できません。

「許したい」とは思っているのですが、「許せる」気がしないのです。

人生の流れは、自分にとって全て最善なのだと思っていて、全ての苦しみは自分にとって必要だから起こっていると、基本的にはそう思えているにもかかわらず、

「この出来事は私にとって必要だった」

という気持ちにはなれそうもないんです。

これは、本当に、私にとっての今後の課題かもしれませんね。

ただ、まだ流産してから2年半くらいしか経過していないので、消化できないのは当然かもしれません。

過去の辛かったことも、そうそうすぐには自分の中で整理できなかったので。うつ病になったことを自分で受け入れるのも5年以上とかかかった気がするし。

「受け入れる」も「許す」も本当に難しいことだと思いますね。

そして、この出来事の後、本当に夫婦2人で生きていこうと腹を括りました。

流産してしまった子を検査に出したところ、染色体の異常もなく原因不明と言われ、どこかで「私のせいだ」という気持ちが拭えず、妊娠するのが怖くなってしまったんです。

よくもう一度、不妊治療の病院に戻る決意をしたなぁと。

流産してから1年くらい経って突然「もう1度不妊治療したい」と旦那さんに言ったのですが、年齢も上がってしまっている中で、よく決意したなぁと振り返ります。

きっと2021年を自分なりにやり切ったことで、再度チャレンジする気力が湧いてきたとは思うのですが、なんかもう記憶がないんですよね、そこら辺の。笑

そんな経緯があったものの、今は無事に子供を産めて、本当にありがたいと思っています。

ただ、ふと1ヶ月検診で病院に行った時などに、「もしかしたら当時の私と同じ思いをしている人もいるのかな」と思ってしまう時もあって、複雑な気持ちになってしまいます。

なんとなくこの時に感じた気持ちはずっと残るのかなぁと思っています。

そんな、なんともまとまりのないお話でした。笑。

つらつらと自分の中でも整理できていない気持ちを書いた記事を最後まで読んでくださってありがとうございました!

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ABOUTこの記事をかいた人

10年間の会社員生活で、うつ病や婦人科系の病気になり、満を持して退職。「好きなことを仕事にして稼ぐ」を模索中。 登山と動物が大好きで、北海道移住を夢見る。30代旦那さんと2人暮らし。