ショパンのピアノ曲が弾くのも聴くのも大好きなKUMAKOです。
ショパンの曲は、ノクターンやワルツはよく弾くし、エチュードやポロネーズも大好きですが、「そういえばショパンってどんな人だったのかしら?」という疑問が沸いてきました。
ピアノ歴がある程度あって、ショパンの曲が大好きなのに、ショパンについてはよく知らないことに気がついたのです・・・!
ということで、読んでみました、こちらの本。「学習まんが人物館・ショパン」
やっぱり活字より漫画の方が入ってきやすいですよね~。ショパンの人物像やその生涯についてとても分かりやすく描かれています。
ということで、今日はフレデリック・ショパンの人物像やその生涯についてまとめてみました。
目次
ショパンの人物像について
天才がすぎる!7歳で作曲を始める
ショパンは金銭的に豊かな貴族の家に生まれ、ピアノや歌の上手い母親に育てられ、音楽が身近にある中で暮していました。
ショパンがポーランド出身で、戦争を繰り返していた祖国ポーランドのことをいつも想っていたことは有名な話ですよね。
小さい頃からピアノを先生に習っていたショパンは、先生が弾いた曲を1度で完璧に覚えて、あっさり弾ける神童だったとか。
7歳になると作曲を始めて、ポロネーズ11番ができました。
天才がすぎます。
ショパン家では、知識人が集まって歴史や芸術について語っている中、ショパンもポーランドの歴史などに耳を傾け、
その時感じたことを即興で演奏していたそうです。
その時感じたことを演奏ってどういうこと!?
繊細で体が弱かった
ショパンは、39歳という若さで、肺結核で亡くなりますが、ずっと体が弱く、体が弱いせいで婚約を解消されたりしていました。
書籍を読んでいると、非常に繊細な人柄だったことが伺えます。
まぁ、作曲したピアノ曲を聴いていれば、大雑把な人物でなさそうなことは予想できますよね。
逆に、リストは「俺なら、もっと技巧を見せつけて弾くぜ~」みたいな嫌な奴に描かれていますけど、本当にそうだったのかな?(笑)
リストは、甘いマスクと超絶技巧で、演奏会で貴婦人が失神したという伝説がある人物ですからね、今度リストの生涯についても勉強してみたいです。
さて、話はショパンに戻って、ショパンは大勢の中で演奏をするのが苦手で、非常に緊張しいだったそうです・・・!
演奏会でのミスタッチも普通にあったらしく、親近感が沸いてきます。(笑)
感受性が高く繊細だったからこそ、美しいピアノ曲を次から次へと作曲できたんでしょうね。
リストとメンデルスゾーンは飲み友達!?
ショパンは、当時、同年代の音楽家として活躍していたリストやメンデルスゾーンといつも音楽について熱く語っていたそうです・・・。
すごい組み合わせですよね、これインスタグラムで「音楽について熱く語る夜」とか書いて3人の写真あげていたら、何億万いいねつくのって世界ですよね。
さまざまな感性を持った天才音楽家と切磋琢磨しながら、ショパンの音楽性は磨かれていったのですね。
ショパンの生涯について
祖国ポーランドを愛した
ショパンはポーランド出身で、ポーランドを愛していましたが、戦況が騒がしくなり音楽どころではなくなった国を出る決心をしました。
20歳でポーランドを出てからは、亡くなるまでポーランドの土を踏むことはありませんでした。
亡くなってから、ショパンの心臓だけが祖国ポーランドに帰り、今はワルシャワの教会の柱の中に安置されています。
ショパンは常に祖国のこと、祖国にいる家族や友人のことを想い、ショパンの音楽はいつも祖国ポーランドへの想いとともにありました。
ポーランドの市民軍がポーランドを支配していたロシア軍を1度は追い出しましたが、その後ロシア軍が攻め入って敗退したという、革命失敗のニュースを聞いて作られたのが「革命のエチュード」といわれています。
ショパンにしては、激しく不安な旋律で、ロシア軍への怒りや家族の安否に対する不安が感じられますよね。
一方で「英雄ポロネーズ」は、
歴史上他国に翻弄され、今もロシアの支配で苦しむポーランドに、1人の英雄がやってきて、ポーランドを解放してくれる・・・!
という前向きな気持ちが込められた曲なのだそう。
確かに、「英雄ポロネーズ」はキラキラした明るい曲です。
常に祖国ポーランドのことを想いながら、ショパンの曲は作られていたわけですね。
最後は昼ドラ並みのドロドロ展開に
ショパンは、26歳の時に7歳年上の女流作家サンドと恋に落ち、数年家族のように暮らしますが、サンドの連れ子2人との昼ドラ展開に翻弄されます。
サンドの息子はサンドにベッタリでショパンのことをよく思わず、2人の仲を引き裂こうと画策。
サンドの娘は、息子ばかりを気に掛ける母親に反発し、ショパンを味方につけ、サンドと対立を深めます。
ショパンがサンドの娘をかばうような素振りを見せると、サンドは気に食わず、ショパンとの間に亀裂が入ることに。
いや、何やっとんねん!
作曲に集中させてあげてちょうだい・・・!
そして、亡くなる2年前くらいにサンドと別れ、心も体も弱ったショパンは、39歳で亡くなってしまいます。
リストは74歳まで生きたのに・・・。
遺言守られず、ゴミ箱あさられる
いや、この題名私の勝手なイメージね。(笑)
ショパンは、亡くなる前に
自分の心臓をポーランドへ持ち帰ってほしいことや、葬儀にモーツアルトのレクイエムを演奏してほしいこと、出版しなかった曲を燃やしてほしいことを遺言として残しました。
ただ、最後の遺言は全く守られず、ショパンが作曲してボツにした曲を友人などがゴミ箱からあさり、死後出版されまくることとなりました。(実際は、ゴミ箱あさっていません。たぶん。)
かの有名な幻想即興曲もショパン的には納得のいかなかった作品なのか、死後に友人の手によって出版されたものです。
映画「戦場のピアニスト」で一躍有名になったノクターン20番も遺作として、ショパンの死後に出版されたものですよね。
遺言は全く守られていませんが、ショパンの死後に作曲した曲が次々に出版され、ショパンの傑作を増やすこととなったのです。
>>別れの曲や子犬のワルツなど、ショパンの楽譜は「ヤマハ・プリント楽譜」がおすすめ
歌うように弾きなさい
ショパンの人物像やその生涯についてざっくりとまとめてみました。
「学習 まんが人物館」分かりやすくて面白かった~!
曲の背景を知ることで、当時のことを想像しながらピアノを弾けますよね。
でも、個人的には、ショパンの気持ちや当時のことを想像するのは限界があるので、今自分ができる解釈で弾くのが1番かなと思います。
ショパンも「あなたの心とあなた自身を伝えることが大切」「あなたが聴きたいと思うように演奏して」と言っていたそうですし。
自分の解釈で、自分の心のままに弾くのが1番いいのかもしれませんね。
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