過去の自分のすべてを否定しなくてもいいのかも

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カナダで撮影したナキウサギ(撮影:KUMAKO)

最近、ライター的なちゃんとした文章を書く気力が起きないKUMAKOです。

実際に、仕事でも今現在はWebライターから少し離れていて、どちらかというとアイデアが重要な仕事をしているので、余計にちゃんとした文章が分からなくなっています(笑)

そして、Webライターの仕事はあんなに好きだと思っていたけど、いまは少し違う仕事をしていきたいな~などとも思っていて。

例えば、写真撮影の仕事とか、SEOなど気にせずに文章を書きなぐるコラムの仕事とか。

Webライターの仕事は、国家公務員の時に比べると好きだし合っていると思うのですが、さらに好きな仕事へとシフトしたいという気持ちが強くなっていて。欲張りだなぁと感じつつ。

より「好き」の中心へ向かっていきたい今日この頃。ただ、どうやって向かえばいいのか見えてこず(笑)ぼんやりと色々なことを考えては消していき、定まらない日々を過ごしています。

さて、そんな近況報告は置いておいて、今日は「過去の自分の全てを否定しなくていいのかも」と思った話を書いていきます。

過去のことで後悔していることってあると思うんですが、そういうことをつい全部否定したくなったりしませんか?

例えば、私は、国家公務員10年間の期間、鬱病になったり婦人科系の手術をしたり、辞める前には棘のある言葉をもらったり、「けっこう辛かったなぁ」という気持ちが強いです。

さらに、飲み会も本当に嫌いで、「楽しくないのにどうして幹事やらなくちゃいけないの」「なんで意味のないことにお金を払わなくちゃいけないの」と考えていました。

なので、最近まで、「国家公務員の時の仕事」とか「飲み会の時間」に関して、後悔というか、「全然楽しくなかった!」みたいに思っていたところがあったんです。

でも、ふと気がついたんですよね。

国家公務員時代のすべてが嫌な思い出というわけではなく、楽しい瞬間もたくさんあったじゃん、と。

飲み会も、嫌な記憶の方が強烈に残ってはいるけど、楽しい瞬間、嬉しい瞬間、人からいい影響をもらった瞬間もたくさんあったよね、と。

なんとなく、今の人生を肯定したいこともあり、全然違う人生を歩んでいた昔の自分のことを否定したくなるんですが、全部を否定しなくてもいいんじゃないかなぁと思うようになりました。

思い返してみると、好きな同僚に恵まれて笑顔で過ごしていた日々もあったし、飲み会で人との交流を楽しんで素敵な気持ちにさせてもらったこともあったなぁと。

同期と出かけて笑い転げた日もあったし、私のことを人として好きと思ってくれていた人もいた。

なんだろう、ある意味、今の仕事の状況とかに自信や余裕が出てきたからなのか、そういう風に勝手な思い込みで黒く塗りつぶしてしまっていた過去の楽しかった日々がフワッと浮かび上がってきて、懐かしく感じられるようになったんですよね。

少し前までは「仕事を辞めた自分」の道が正しいと思いたくて、「昔は間違っていた!」と強がって主張していたのかもしれません。

これからもたくさん辛いことはあると思うし、後から思い返したときに、辛い時期の全てのことを覆い隠してなかったことにしたいと思うときもあるでしょう。

でも、辛い過去を思い出すときに、

「辛い過去があったから今の私がある」と感じるのと同じように「辛いこともあったけど、楽しく輝いていた瞬間もあった」と捉えられるようになれたらいいなぁと感じました。

今日はそんな感じです。

(おわり)


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ABOUTこの記事をかいた人

10年間の会社員生活で、うつ病や婦人科系の病気になり、満を持して退職。「好きなことを仕事にして稼ぐ」を模索中。 登山と動物が大好きで、北海道移住を夢見る。30代旦那さんと2人暮らし。