さて、今日は、アドラー心理学の話を久しぶりに記事にしてみました。
アドラー先輩には、人生の要所要所でお世話になってきておりまして、私はアドラー心理学を知ったことで、かなり生きやすくなりました。
特に、上記の「課題の分離」という考え方を知ることによって、親と心の距離を取ることができ、自分の人生を生きることができるようになったと言っても過言ではありません。
そんな私の人生に大きな影響を与えてくれた「アドラー心理学」なのですが、最近、また「アドラーってやっぱりすごいよね?」と感じた考え方があったので、紹介したいと思います。
それが、「劣等感」「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」という考え方です。
なんか似たような名称が続いていますが、全部違う考え方です。
SNSで人と比較しやすい現代においては、結構この状態に陥って苦しんでいる人も多いのでは?と思うので、興味のある方はぜひ読み進めてくださいませ~!
目次
アドラー心理学では、「劣等感」と「劣等コンプレックス」は明確に異なる
アドラー心理学で言う「劣等感」とは?
今では普通に使われるようになった「劣等感」ですが、現在のような文脈で使ったのは、アドラーが最初だったとか。
ただ、アドラー的には「劣等感」は特に悪いものではなく、努力や成長につながると定義しています。
これは、「劣等感」とは、あくまで「理想の自分」と「現在の自分」の対比であって、理想の自分への努力につながる促進剤になる分にはなんら問題ないとしているからです。
例えば、自分の体型に劣等感を感じている人が、「理想の体型になりたい!」と感じて、努力をするようなことを指します。
私だったら、「理想の自分」は英語ができるので、英語の勉強をコツコツするなどの努力を重ねて理想の自分になろうとするのは、もちろん悪いことではないですよね?
ただ、これが、「劣等コンプレックス」になってしまうと、少し厄介なことになります。
アドラー心理学で言う「劣等コンプレックス」とは?
アドラーは「劣等感」を持つこと自体は問題ではないとしつつも、「劣等感」を言い訳に使い始めてしまう人たちがいるとし、これを「劣等コンプレックス」と呼んでいます。
どういうことかと言うと、「私は太っているから結婚できない」とか「学歴が低いからいい仕事につけない」とか「親の教育のせいで良い人生が送れない」と、「劣等感」を言い訳に使い、努力を放棄している状況のことを指します。
例えば、私は、2021年くらいに「理想の自分(見た目)」になるためにやるべきことをリスト化して、ダイエットしたり、脱毛したり、髪型を変えたりなど、コツコツと努力をしてきました。
それは、人として正常な反応で、「もっとこうなりたい!」という気持ちを持って、「劣等感」を糧に行動できたということです。
ただこれが、「見た目に自信がないから積極的に動けない」とか、「太っているから美容を頑張っても意味がない」と言い訳に使い始め、「太っていることをどうにかする」という努力を放棄していたとしたら、現実的な努力から逃げている「劣等コンプレックス」という状況ってことです。
そういえば昔、潜在意識の本か何かを読んでいて、「私は太っているからモテない」と言いつつ、痩せる努力をしないで、太った状態をキープしているのは、その人にとって都合がいいからって書かれていたことがありましたね。
だって、「太っているからモテない」ってことは、「痩せればモテる」ということを信じているわけで、これで、痩せてもモテなかったら自分の魅力がないって事実を突きつけられるわけじゃないですか?
なので、その事実に向き合うのが怖いから、言い訳を繰り返して「あえて」痩せないんだそうです(この話もめちゃ厳しいなって思った記憶が笑)。
で、この「劣等コンプレックス」が進むと「優越コンプレックス」という状況に突入します。
アドラー心理学で言う「優越コンプレックス」とは?
上記の「劣等コンプレックス」すら受け止められない人が突入する心理状況が「優越コンプレックス」だそうです。
これは、あたかも自分が優れているように振る舞ったり、人を見下したり、自分の過去の手柄を自慢したりする状況だそうです。
つまり、「自分は太っているからモテない」ということを考えることすら辛く、「男は見る目がない」とか「女は見る目がない」とか相手のせいにしているような感じかな?
本当は自分が仕事で輝きたいのに、「子育てで忙しいから」と言い訳をして何も行動しようとせず、ママ友に旦那自慢や子供自慢をしている人とかもそれかな?(笑)
職場の上司とかも、こういう人多いような気がするな~~~。何かコンプレックスがあるからこその、手柄自慢とか、同期見下しなのかな~。
まぁ結局は、「劣等コンプレックス」も「優越コンプレックス」も、現実の課題から逃げていることに変わりはないというわけです。
卑屈になるか傲慢になるかの違いって感じでしょうか。
逆に自分が誰かにマウンティングしたい気持ちになったら、「今の自分には何か劣等感が強くあるのかな?その課題から逃げようとしているのかしら?」なんて振り返ってもいいかもしれませんね。
常に考えるべきは「理想の自分」との対比
で、これらのことを通して、アドラーが言いたいことは、「理想の自分」に向かって努力して成長しましょうね、人と比較をせず不完全な自分をそのまま受け入れましょうってことなんですけど、この時代で上記の結論に達するってすごいなぁなんて思いました。
もしくは、ただ、人間の悩みは意外とずっと変わっていないだけなのかもしれませんが(笑)
さらに、アドラーは他人からの評価や他人との比較を軸にした「自尊心」ではなく、「自分らしくあるかどうか」「理想の自分に近づけているかどうか」などからくる「自尊心」を持つことで、課題回避を防ぐことができると言っています。
なんか今、流行りの「自己肯定感」そのものですね。
つまり、ありのままの自分を認める「自己肯定感」を持つことで、理想の自分になるための努力を前向きに続けられるようになりますよってことですかね。
まさしく、現代でよく言われていることというか・・・。アドラーさんすごいわ。
「理想の自分」ってなんだろう?
まぁそうすると、もうひとつ「理想の自分って何だろう?」という疑問が湧いてきたりもします。
最近、この「理想の自分」を暇なときに考えているのですが、結構難しいですよね。
そもそも「理想の自分」が明確になければ、そこへの努力と言っても「何をすればいいんだろう?」と、漠然としたものになってしまうので、色々考えているところです。
「外見的な理想」っていうのはそこそこ明確にあるのですが、どれくらいの仕事をどんな風にしていて、また、どんな内面を持っていてどんな風に人と関わりたいのかってあたりがまだ漠然としているような気はしています。
ま、そこら辺はもう少しゆっくり考えていきたいと思います。
まとめ
そんな感じで、今日はアドラー心理学の「劣等感」「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」という考え方について解説してみました。
人との比較に疲弊するのではなく、「常に「理想の自分」との距離を見つめコツコツ努力していく」言葉にすると簡単なようで実践はとても難しいなぁと思ったりしました。
これできてるのフィギュアスケートの羽生君くらいじゃない?笑
私も羽生君を見習って(?)理想の自分に向かって、コツコツ努力ができる人間になりたいと思いました。人との比較やマウンティングをしても何も満たされないもんね・・・。
皆さんもこの機会に、「理想の自分」になる努力を放棄していないか、「理想の自分」ってどんなだろう?など、具体的に考えてみてはいかがでしょうか?
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