人を「持ち上げる」と「褒める」ってずいぶん違うなぁと感じたので、そんなことをつらつらと綴ってみたいと思います!
「持ち上げる」って、思ってもいないのに褒めるとか、表面的なところだけ褒めるというイメージです。
「太鼓持ち」という言葉がありますが、それに近く、まぁ太鼓持ちも極めれば面白くはあるのですが(笑)、人に媚びへつらうような感じでしょうか。
そういった人を「持ち上げる」性質のある人って、基本的に舐められやすいような気がします。
人を持ち上げるために、自分を卑下したりもするので、「自分で自分をどう扱っているか」が外界の世界に反映される法則からすれば、当たり前と言えば当たり前です。
(自分を大切にしていれば、人からも大切にされる、自分を粗末に扱っていれば、人からも粗末に扱われるってことです)
かくいう私も、20代の頃は先輩や上司を「持ち上げる」ことをしていたような気がします(笑)
20代の頃って、先輩や上司に食事を奢ってもらうことが多かったから、そのお礼に「持ち上げる」ってことをしていたような。
「~さんって本当に仕事ができますよね」とか「~さんってかっこいいですよね!」みたいな、底の浅い会話を繰り広げていましたよね(笑)
でも、自己啓発本とかスピリチュアル本にも書いてあるじゃないですか、「人を褒めよう」みたいな。それを勘違いして、人を「持ち上げる」ことをしていた気がしますよね~。
20代だったから許して欲しいんですが、そういう底の浅い「持ち上げる」行為って、やっぱり相手にも伝わってしまうんですよね。
だから、相手からも大切にされないというか、そんな人間関係を構築していた時期が私にもありました(笑)
一方で、「褒める」というのは、私としては、相手の良いところを見つけて言葉にすることだと思っています。
これって、表面的な「持ち上げる」とは違って、簡単なことじゃないんですよね。
まずは、相手の良いところを見つける観察眼が必要で、さらに、その良いところを言語化できる能力が必要だったりします。
例えば、私の旦那さんは職場で色々な人から話しかけられる人なのですが、そのことに関して
「本当に色々な人から好かれるよね。きっと柔らかい優しいオーラが出てて、人を安心させる才能があるんだろうね」
と言ったら喜んでいたことがありました(笑)
他には、私の友人で、独身のまま自由に生きている子がいるのですが(やっほーブログ見てる?w)その子に、
「自分を貫いて自由に生きているところがすごい素敵だよね。私は、世間体とかなんだかんだ気にしちゃうタイプだから、そういうところすごい憧れるよ」
って言ったら、結構、喜んでくれた気がします。
というか、旦那さんもその友人も、本当に私にはないものを持っていて、常々「すごいな」「素敵だな」と思っているので、私としてはあえて褒めたつもりはないんですよね。
いつも思っていることを言っただけというか。
これって本当に「持ち上げる」とは全然違って、相手のことを理解しようと努めた上で、心から「素敵だな」「いいな」って思っていることを言語化しているという行為なんですよ。
だから、相手にも伝わるし、時に、伝えた相手の活力につながることもあります。
私も、自分の本質的なところを褒められた時には、本当に嬉しいし、「もっと頑張ろう」という気持ちになれます。
そう考えると、「褒める」って奥が深いですよね。
自分以外の人が何を考え、どう行動しているかを想像できるだけの、経験や学びがないと、人の本質って掴めないと思います。
さらに、それをうまく言語化する能力ですよね。いや、奥が深い(笑)
でも、これをサラリとできるようになれば、「この人はちょっと違うな」と思われて、人から大切にされることは間違いないです。
いや、もちろん、人から大切にするために褒めるってわけではないのですが、結果として、ね。
その逆で、人から嫌なことをされるとか、粗末に扱われたりした時には、「自分の中に」何か改善することがあるのだとつくづく思う今日この頃です。
私も、もっと勉強と経験が必要だなと、この記事を書きながらあらためて思いました。
というわけで、今日は「持ち上げる」と「褒める」の違いについて思ったことを記事にしてみました。
思ったことをつらつら書いただけの記事を読んでくださってありがとうございました!