突然ですが、「遠回りの人生もなかなかいいよね」って話をしていきたいと思います、急に(笑)
私は、結構ここまで遠回りな人生だった気がしています。
今では、これまでの人生を俯瞰して、「こんな人生もいいかも」と思えるのですが、20代や30代前半の時って、自分としては早く成果を出したくて焦っていた気がするんですよね。
自分の気持ち中で、「仕事で何か成果を出さなくてはいけない」とか「自分が一生やれる仕事を見つけなければならない」とか、「そろそろ子供作らなくちゃいけない」というものがあり、でも現実はなかなか理想に追い付かず、ギャップに苦しんでいました。
何を生き急いでいたのかはわかりませんが・・・(笑)
特に、仕事に関しては、本当に焦っていて、同い年や年下の人が成功しているのを見ると、嫉妬にかられまくってました。
また、自分より若い世代で、「すでに自分の好きなことを見つけて成功している、稼いでいる人」なんて、大嫌いでした(笑)、うらやましすぎて。
そう私にとっての「遠回りでない人生」とは、「10代や20代で自分の使命的なものに目覚め、それを仕事にしている人たち」でした。
・・・考えてみれば、そういう人たちは確かに目立つけど、人口からしたら多くないかもね(笑)
でも、40歳も目前になって思うのは、「別に遠回りの人生も悪くないな」ということ。
人生100年時代と言われている昨今では、晩年に使命を果たすことになってもいいだろうし、失敗や挫折の経験も後から振り返るととても尊い経験だったりするからです。
私は、現在は、自分の好きな「書くこと」を仕事にしていますが、そこに辿り着くまでは、色々な職業に興味を持っていました。
中学生の時には、客室業務員になりたかったし、大学は法学部に入って弁護士や書記官になろうと考えたし、就職してからは金融系の仕事をしてみたいと思ったり、ヨガのインストラクター、アロマセラピスト、カウンセラーなど、
「自分はどんな仕事があってるのか、やってみたいのか」
と、ず~っと自問自答していました。
もちろん、関連の勉強をしてみたり、すでに活躍している人の話を聞きに行ったり、セミナーに参加してみたり、それはそれは、色々な経験をしました。
結局、今はライターをしているので、「全然関係ない仕事しているから、これまでの努力意味ないじゃん」という意見もあるかも。
でも、これまでもがいてきたことって、自分の中の経験値として蓄積されているし、ライターという仕事柄、色々な経験が本当に役に立っています。
というか、別に役に立たなくてもいいじゃんって思います。
全ての行動が「目的」のためだけというのも、人生の彩りとしてはつまらないものになっちゃうんじゃないかと。
長い人生、無駄な寄り道をして、「へ~こんな景色もあるんだ~」など、変わった景色を楽しむのも一興ではないでしょうか。
頂上まで1時間で登れる山を、5時間かけてウロウロするのも楽しいんじゃない?なんて思うようになったんですよね。
それに、これからの時代って、もう「職業」なんてものはなくなって、「その時やりたいことをやってお金を稼ぐ」みたいになる気がしてならないんですよね。
そう考えると、若い時から「自分にはこれしかない!」と確固たる地位を築いてしまうと、それが後々足枷になるかもしれないです。
私も、「書くこと」はある程度自分の天職だとは思っているのですが、あまりそこに囚われすぎず、その時その時でやってみたいことにチャレンジしていく軽さを持っていたいなぁと思っています。
こうやって色々なことに軽く挑戦できるのも、これまで、多くの経験を積んできたからだと思っています。それに、別に、失敗したっていいしね。
そんなこんなで、これから私はどんな景色を見ていきたいのか、また、少し考えていきたいと思いました。
上記の記事でも同じようなことを書いていますね(笑)
それでは、今日はここまで。
取り止めのない文章を読んでくださって、ありがとうございました。